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第3話「猫がペットとして飼われたわけ」

 

私たちがペットとして飼育している猫の動物学的な分類は、どんな血統書がくっついていても野良猫でも同じです。動物学名は「フェリス・カトゥス(和名:イエネコ)」といいます。
※詳しい猫の分類については、とても分かりやすく説明されているサイトがあったので、知りたい方は、是非一度そちらをみてください。
「ゴロにゃんママの情報局」https://www.rakuten.ne.jp/gold/56nyan/joho/neko/neko_ieneko.htm

 

祖先種はリビアヤマネコで、エジプトが起源という定説があります。それは、今から約3500年前の(紀元前1400年頃)デイル・エル・メディナの壁画にイエネコして描かれているからです。
しかし、平成になって2004年、地中海にあるキプロス島で、9500年前(紀元前8000年頃)の墓の遺跡から、人間とともに埋葬された猫の骨が発見されました。
今後、これまで定説とされていたエジプト起源は変わっていく可能性があります。

もともと猫は臆病で警戒心の強い動物ですから、祖先種のリビアヤマネコは、森の中に生息し、人間のそばに住むことはありませんでした。
人類が農耕をするようになって、一定の場所に定住し、穀物を貯蔵するようになったのが猫と人が接点をもったキッカケです。
ネズミがその穀物の保管場所に集まるようになり、そのネズミを捕食していた猫もネズミを追って、人類の近くに移動してくるようになりました。

猫は猟犬のように飼いならすことはできませんから、穀物の収穫が増える=ネズミが増える=猫が住み着く=豊穣のシンボルとして、その存在は特別なものになったと考えられています。

その後、エジプトでは多産な猫は、受胎と豊穣のシンボルとして「バステット(猫女神)」とされ、夜に目が光り、暗闇でも獲物が見え動き回る猫は、太陽神「ラー」の化身だとあがめられてきました。

紀元前30年、クレオパトラの艦隊が敗北し、エジプトはローマの支配下におかれました。それから約400年後、ローマ皇帝テオドシウスがキリスト教を国家宗教と定めたことにより、猫神の信仰は否定されることになりました。
この頃から、猫はネズミ退治の役割として、エジプトからヨーロッパ全体にまたたく間に広がったようです。それまで、ヨーロッパでネズミ退治の役割をしていたのは、フェレットでした。

しかし、キリスト教がヨーロッパ全土に浸透し、宗教間の軋轢が高まってくると、夜行性で隠密の行動をし、従順性のない猫は、次第に悪魔的な存在とみなされ、魔女と同じように迫害されるようになりました。

猫の評判が回復したのは、それから1000年近く経った18世紀になってからです。ペストなどの感染症が蔓延し、ネズミ退治の能力が再評価されるようになりました。19世紀になり、パスツールが感染症の原因がネズミや家畜などが原因の最近であることを発見すると、今度はネズミ等が迫害を受け、綺麗好きでネズミ退治もする猫は、ペットとしての地位を確立することになりました。

日本に猫が伝えられたのは、中国から仏教の経典とともにネズミの害から守るためだとされています。もっとも古い記録は、西暦889年の『宇多天皇御記』に「黒猫を先帝から譲り受けた」という記録があります。

これより古い文献「古事記」や「日本書紀」には猫の記述はありません。

最初は舶来の唐猫で希少で貴重な動物でした。「枕草子」や「源氏物語」でも貴族の間で寝殿内でひもでつないで買われていたと描かれています。

猫の習性から考えると、つないでおかなければいつの間にか抜け出してしまい、気に入った場所があればそれきりどこか行ってしまう、「家につく」と言われるゆえんですね。

1602年に「一、洛中の猫の綱を解き、放ち飼いにすべし事。一、猫売り買い停止の事。この旨相背くにおいては、かたく罪科に処される」という高札がたてられたと、「御伽草子」に記録があります。洛中とは、当時の京都市街のことです。それは、街中のネズミ退治のためでしたが、いわば徳川綱吉の「生類憐みの令」の先駆けですね。

日本には猫を捕食する動物がいなかったこと、多産であることから考えると、あっという間に、日本各地に増えていったのは、容易に想像つきますね。

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