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第2話「西洋人の動物を支配するという感覚」

前回、第1話で紹介した日本人がもっている動物に対する価値観と西洋人が持っている動物に対する価値観は、根本的に違いがあります。それは、双方が生きてきた環境によって、自然や動物との関わり方が大きく変わるからです。自然環境の違いから形成されていった、思想や理論が何千年、何百年と受け継がれて今日に至ります。
どちらが良い悪いではありませんから、違いを知ることが理解の第一歩になります。

 

動物に対する価値観や考え方は、その土地の自然環境に大きく影響し、その影響は宗教や文化も形成していきます。その宗教や文化のもと、さらに動物に対する対応や価値観、序列が形成されます。

世界で動物に対する考え方の違いは、当然おこります。国や地域によって自然環境が全く異なることもあり、自然との関わり方や自然からの影響、地域によって生物の生態や種類も違うので、その土地によって人の生活形態も変わります。

自然環境が人間の根本的な性質を形成すると考えられることから、大きく「狩猟型と農耕型」と分けたり、「砂漠型、牧場型、モンスーン型」と分類する規定もあります。

明治以降、日本人が大きく影響をうけた、西洋文明の基礎には2つの大きな思想が根底にあります。
「ヘブライ思想」と「ギリシア思想」です。西洋人の動物に対する対応は、この2つの思想をもとに形成されてきました。

「ヘブライ思想」は旧約聖書の基になった思想です。
その旧約聖書の「創世記」には、神がすべての生き物を創り、神の形に似せた人間を創り、その人間に「地の上を這うものはすべて支配せよ」「すべての生き物は人間の食料とするがよい」と言われて、神が人間に殺生を許したことによって、他の生物を利用し食べることが正当化されました。この旧約聖書の動物観は、のちにキリスト教にも受け継がれていきます。

ギリシアの哲学者アリストテレスは、「動物は理性がないから人間に利用されるために存在する。自然が動物を人間のために作ったのだ」と言いました。
アリストテレスは「理性」を最高原理として、序列づけをしました。
人は理性を持っているので頂点に位置し、動物は運動能力を持っているので人の下、動けない植物は動物の下としました。
さらに、人の中でも序列をつけました。男性が最上位で次に女性、その下に奴隷を置きました。古代ギリシアのアテネが最も盛えた時期、人口およそ50万人のうち、市民はわずか2万1千人。それ以外の大半は奴隷だったのです。
アリストテレスは、奴隷と動物を同一のレベルで論じています。「奴隷と飼いならした動物との労力や効果はほとんど変わらない」と。

これらの旧約聖書の動物観とアリストテレスの人間優位の動物観を融合して、西洋人に深く定着させたのが、トマス・アクィナスというキリスト教の神学者でした。
アクィナスは「神学大全」の中で、「不完全なものは完全なもののために存在するのが自然の秩序である。神の意志により、自然の秩序の中で動物は人間が利用するために存在し、それを殺して食べても利用しても、神の法に反しない。」
この主張がローマ・カトリック教会の正式見解となり、20世紀に至るまでキリスト教世界ではゆるぎない権威を保っていました。

アリストテレスに次いで人間優位を正当化し、動物の地位を徹底的におとしめたのは、近代哲学の祖と言われているデカルトです。デカルトは「動物は自動機械である」と言い、時計と同じ原理で動いていると言いました。
理性のない動物は思考能力がない、なぜなら言語を持っていない、ゆえに心がない。心がないから意識がない。意識がないから感覚がないといい、焼きゴテを当てたり、切りつけたりして、暴れたり悲鳴をあげるのは、蝶番が音を立てるのと同じ原理である。これが、デカルトの動物機械論の内容でした。

「動物は痛みを感じない」というデカルトの主張は、当時、麻酔などない時代に動物の生体解剖や動物実験をする人の良心の呵責を和らげるのに大いに役立ちました。

18世紀末になり、イギリスにこれまでと違った動物観を唱える人が出てきました。ジェレミー・ベンサムという哲学者でした。
ベンサムは道徳の哲学を体系化した人として有名です。「正しい行為は世の中に多くの幸福をもたらす行為である」といい、「幸福とは精神的、肉体的な痛みや苦しみのない状態である。動物も痛みや苦しみを感じるのだから、人間が正しくあろうとするならば、動物に対しても痛みや苦しみを受けないようにしなければならない。それが私たち人間の道徳的な義務である」と説きました。

「なぜ法律は感覚のある生き物を保護しないのか。生きとし生けるものすべてのものが慈愛を持って扱われる時がいずれ必ずくるだろう」と、それまでの西洋の考え方とはまったく逆の新しい動物観でした。

このベンサムの道徳的思想が、現代の西洋の動物に関する考え方に向かって、大きく転換していきますが、それでも長らく続いた「神が許した人間優位の動物観」が、どこか端々に残っていることはいたしかたないのかもしれません。

最後に、1952年にノーベル平和賞を受賞したフランスの哲学者アルベルト・シュヴァイツァー医師は、受賞の理由を「生命への畏敬の理念を現代の人類の思想に導いたこと」であると言い、「文化の核心は論理であり、論理とはすべての生き年生けるものへの無限の責任である。生命そのものが神聖なのだ。動物解剖や動物実験などの行為が価値ある目的を追求しているからといって、正当することは許されない。人間のためにかかる動物の犠牲が本当に必然性があるかどうかを、我々は毎回深く考慮しなければならない。できる限り苦痛を軽減するように細かく心遣いしなければならない。犠牲によって人間にとって貴重なものが得られたならば、他のすべての生物に対して、可能な限りの善を成すという責任が我々に生じる。」と説きました。

この二人の哲学者の理念が、これまで根付いてきた人間優位の西洋の思想の枠を超えて、東洋的な共存感覚に似た慈悲や畏敬の心に向かう布石となっています。

西洋の多くの国では、古来より狩猟を主として生き抜いてきた文化です。
一年中大きく変動することのない気候のもと、自然に翻弄されることのない人類は、自然環境に合わせるのではなく、その環境を支配する(縄張りにする)という思想が生まれます。よりよい環境へと移ろうとすれば、守ろう奪おうとして戦いが生まれていきます。
多くの民族が点在し、大きな大陸で地続きでつながっていますから、衝突は当然おこりますね。
そんな中で古来から神への信仰が受け継がれてきた西洋の人間優位の思想と、自然環境に合わせて他の生物とも共存してきた私たちの思想とは、根本的に違った価値観や文化が形成されてきたのも当然のような気がします。

のちに現代の『アニマルライツ(動物の権利)』へと繋がっていく、ベンサムの思想は、慈悲や慈愛、仁心という道徳観という観念から、東洋、西洋などの国土の枠を超えて、世界に共通して「人間の善の部分」を明確にした愛の思想であったように思います。

 

※和辻哲郎著「風土」岩波書店 参照

注)アリストテレス(紀元前384-322)
注)トマス・アクィナス(1224-1274)
注)ルネ・デカルト(1596-1650)
注)ジェレミー・ベンサム(1748-1832)
注)アルベルト・シュヴァイツァー(1875-1965)

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